渋沢栄一



 渋沢栄一は、天保11年(1840年)、現在の深谷市血洗島(ちあらいじま)
の農家に生まれました。24歳のころ、徳川幕藩体制に疑問を抱き尊皇攘夷(そん
のうじょうい)運動に加わりましたが、その後一橋家及び幕府に仕え、慶応3年
(1867年)、第15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)の名代徳川昭武(あきたけ)
に随行(ずいこう)して渡欧。約1年滞在する中で、ヨーロッパの進んだ思想・文
化・社会などを目の当たりにし、大きな影響を受けました。
 明治元年11月(1868年)に帰国した後、大隈重信(おおくましげのぶ)の
説得により明治新政府の大蔵省に仕え、財政の整備に当たりましたが、大久保利通
(おおくぼとしみち)らと財政運営で意見が合わず辞職。以後は一般社会で実業界
の最高指導者として活躍しました。「論語」(ろんご)の精神を重んじ「道徳経済
合一説」を唱え、各種産業の育成と多くの近代企業の確立に努め、第一国立銀行創
立をはじめ設立に関わった企業は500余に及びました。
 また、600以上の社会公共事業に関わるとともに、昭和6年(1931年)に
亡くなるまで、国際親善にも貢献しました。

※深谷市役所の「渋沢栄一翁」から抜粋しました。詳しい紹介が掲載されています。