白石正一郎天保改革の一つの「越荷方(こしにがた)の設置」は、下関海峡を通過する他国 の産物に資本を投下し、金融業兼倉庫等を行うもので藩営の貿易会社です。また、 同じ下関に「物産総会所」が設けられ、中野半左衛門、白石正一郎などの豪商が参 加しました。これも半官半民の貿易会杜で、薩摩や対馬方面と取引しました。 白石正一郎は、幕末勤王の商人として、西日本諸藩の倒幕派の人々数百人の後援 者として多くの役割を果たしましたが、特に奇兵隊が白石邸で結成されたことは有 名です。彼は詳しい日記をつけており、また百人以上の倒幕派の人たちの手紙も整 理し保管してあるので、明治維新関係の資料として大変貴重なものとなっています。 明治維新の陰の立役者である下関の回船問屋、白石正一郎さんです。彼は、高杉 晋作の奇兵隊のスポンサーで、新しい日本のため奇兵隊のために全財産をぶち込ん で破産するわけですが。 高杉晋作の葬儀は白石正一郎がとりおこなった。 白石は、奇兵隊設立時に資金を提供した人物である。奇兵隊に資金を捧げ、維新 後は神官としてひっそりと暮らしたという。奇兵隊結成時高杉25歳、白石53歳。 親子ほども年齢差のある2人だが、白石はこの若者のために私財をなげうった。白 石の生き様もまた興味深いものである。 安徳天皇を祭った“阿弥陀寺”はいま明治以降の廃仏棄釈により神社として “赤間神宮”となり初代宮司に維新の政商、高杉晋作・坂本龍馬らの後ろ盾となっ た白石正一郎が就きました。境内傍には平家物語で有名な“耳なし芳一”の像があ り平氏の将らの墓とともに物悲しく琵琶を弾く姿で鎮座しています。 ※下関市役所の人物紹介に詳しく掲載されています。 |