2003夏、北海道一周の旅

8月2日(土)

 11時30分に家を出発した。古河から笠間を経由して、水戸、大洗 に15時00分に到着した。1時間半早く到着した。2等を2等寝台に 変えるため、16時15分まで改札を我慢していたが、帰省の客が多く て、どうも変更はできないらしい。しかたがないので、改札をした。  17時から三井商船カーフェリー「へすていあ」の入船が始まった。 早く来たので、早めに入船できた。入ってすぐ、2等寝台へのキャンセ ル待ち1番で登録した。しかしこれは、とうとう実現しなかった。狭い 2等和室で過ごすことになるが、隣のおじいさん(65歳ぐらいで、摩 周湖周辺に住んでいる人)と話ができたので良かった。  夕食は、食堂で「牛丼定食」、朝食は「カレーライス」、昼食は「チ ャーハン」を食べた。食堂はまあまあの感じだった。

8月3日(日)

 13時15分に雨の苫小牧に到着した。さっそくコンビニへ入り、お 茶と北海道の地図最新版(750円)を購入した。はじめは、襟裳岬へ カーナビを設定したが、到着が19時半とでてビックリした。これでは 何もできない。予想以上の北海道の広さに驚愕した。これでは今後の計 画も立て直さなければならないだろう。  二風谷(にぶたに)のアイヌ文化博物館は中止し、襟裳岬は明日の予 定にした。16時半に宿泊地の浦河に到着。17時前に着くのがベスト なので、これで良いだろう。理由は、夕食と朝食を町で食べたり、スー パーで購入したりして、ホテルは泊まるだけにしているからだ。  浦河ウエリントンホテルは総合文化会館とショッピングセンターMIO とホクレンショップと言う大スーパーと合体したビルの中にあった。そ の周辺の町並みは長崎のように全部モール街の感じのすてきな町になっ ていた。もっと田舎を予想していたので、駐車場やホテルがわからずウ ロウロしてしまった。はずかしや。  部屋に入った後、さっそくホクレンショップへ買い出しに行った。た くさん買い込んで、部屋でこの記事を書いている。そろそろ18時半な ので夕食にしよう。そうそう窓から海がよく見える。(雨が降っている のでちょっと残念)  この浦河に着く前休憩したのは、新冠(にいかっぷ)と言うサラブレ ッドの成育地で有名な場所でトイレ休憩を取った。確かに牧場がたくさ んあった。天気が良ければ放牧されていたのだろう。ここで、日高昆布 と馬のマークのキーホルダーをお土産用に購入した。

8月4日(月)

 朝6時に習慣で起床。窓を開けると晴天で海がきれい。昨日買ってお いたパンを食べる。まあまあかな。    8時15分に浦河を出発した。えりも岬へ行く途中の様似(さまに) の親子岩のところから見た海岸はとても神秘的だった。海岸線にある小 高い山に霧が流れるようにかかり、何とも言えない風景だった。写真に 撮ったが、霧は写すのが難しい。     9時15分に襟裳岬に到着。さっそく風の館(かぜのやかた)に入場。 風速実験室に入り、風速25mを体験した。雄大な襟裳岬をガラス越し に楽しむことができた。        百人浜から黄金道路を広尾に向かって車を進めた。トンネルの右が開 いているのが延々と続く。やたらと工事中だった。ここは天候が悪いと 閉鎖になる道路だったので、天気が良くて良かった。  広尾から、今日の第1の目的地の中札内(なかさつない)美術村へ向 かった。大樹(たいき)町の道の駅で休憩したときに、チーズのお土産 を買おうとしたが、少し小さかったのでやめたが、ここに雪印の大チー ズ工場があったのに。  11時45分頃、中札内美術村に着いた。はじめは林だけに見えて通 り過ぎてしまった。中にはいると、大駐車場と大芝生(こちらは何でも 大きい)、芝生ではTシャツのデザインコンクールをしていた。美術館 は4つもあり、はじめに、北の大地の雄大な自然の瞬間をとらえた「関 口哲也写真ギャラリー」、北の十名山を描いた「相原求一朗美術館」、 開拓農民として草花や山々を描いた坂本直行の「北の大地美術館」、龍 の天井画や墨で山々の風景画を描いた「小泉淳作美術館」(絵はがきを 4枚も買ってしまった)が林の中に点在していた。           昼食は、美術館敷地内の「ポロシリ」と言うレストランで、和田門カ レーというチョウ辛いカレーを食べた。純生牛乳はおいしかった。    このあと、近くの「幸福駅」で写真を撮った。ここから、裏道を使っ て釧路に向かった。本当に裏道で、十勝平野の牧場の風景が至る所に見 られる道である。曲がりくねりながら、時速70kmを越さないように 注意しながら(ちょっと気を許すと100kmぐらいにすぐいってしま うから)、幕別(まくべつ)・豊頃と出て、国道38号線に出ることが できた。順調に進んだので、16時には釧路に入れた。途中通ったのは、 浦幌・音別・馬主来沼(バシクル沼)・白糠(しらぬか)です。     順調に来たので、予定通り「釧路市丹頂鶴自然公園」と「釧路市湿原 展望台」に寄った。      17時に釧路駅前の「釧路ロイヤルイン」に到着した。ここはインタ ーネット使い放題のなういホテルだ。さっそくこの文章をアップしてい る。  予定では、帯広市内の「植村直己記念館」や池田町の「ワイン城」に 寄る予定だったが、あきらめた。  明日は、凄いスケジュールなので、予定通りは行かないだろう。

8月5日(火)

 釧路のホテルは朝食がついていたのだが、うっかりパンを購入したの で、朝食は食べに行かなかった。シングルで頼んだのに、ダブルの部屋 に通された。一人で二人用の部屋を贅沢に使うことができた。理由はシ ングルの部屋が満員だったからだ。得した。  朝8時半に出発した。晴れていたので、納沙布岬を楽しみにしていた が、カーナビに設定をすると、予想通り網走に23時に着くというアッ と驚く結果だった。どこかで調整しながら行かねばならないだろう。    最初に、厚岸(あっけし)の道の駅に入った。先日のテレビで布施明 と鶴べいが訪ねていたのを見て、行ってみたくなったのだ。お土産も購 入した。厚岸大橋から霧多布方面へ曲がった。しかし、愛冠岬(アイカ ップ岬)は、行かなかった。実は新婚さんらしき二人ずれの車と前後に なり、急に行きたくなくなったのだ。一人旅行のせいかな。  霧多布は名前の通り、霧が湧き起こり、結局、琵琶瀬展望台から何も 見えず、看板の写真で我慢した。舗装もよく快適な運転ができたが、時 間がかかったし、やはり海は霧状態なので、根室半島の納沙布岬も同じ だろうと推測して、行くのをキャンセルした。直接、野付湾や標津へ向 かうことにした。これで、カーナビで網走に19時に到着と4時間分助 かった。  霧多布から浜中町を通り、国道44号線を横切り、根釧平野の真っ直 中を通る県道123号線をスピーディに通過した。十勝平野と同様に牧 場がたくさんあったが、十勝平野の方が景気が良さそうに思えたが、ど うだろう。     別海町を通り、途中から東に方向を変え、野付半島へ向かった。国後 島(クナシリ島)を見たいと思ったからだ。しかしここも、霧がかかり 島は見えない。どうも海が霧っぽい。(この後、網走地方は大雨となっ た)  標津サーモンパークで、サケの研究を見学した。建物もずいぶん立派 なものだった。昔(24年前)も標津を通ったが、鄙びた漁村だったの に、地方都市になっていた。    国後国道(335号線)を知床へ向かった。ずっと右に国後島がある のを感じるのだが、見えない。度々停まってじっと見たが、ガスってい て見えない。ついに羅臼町(らうす町)に着いた。ここまでかと諦め、 知床峠へ向かった。ところが、峠の山の上に来ると雲の上に国後島がは っきり見えた。うれしかった。写真もたくさん撮ったが、遠いので旨く 写っただろうか?     知床峠の前に聳える山の美しさに見とれてしまった。万年雪も少しだ け見られた。  知床の宇登呂(ウトロ)から、2時間半の観光船に乗る予定だったが、 無理なので、目的地を知床五湖に変えた。距離的にも近いし、車で行け る限界(その先のカムイワッカへは車を止めてバスで行く)でもあった ので、行ってみた。猛烈な霧がおそってきたが、知床五湖では快晴とな った。時間の関係で、知床一湖だけ歩いて見学した。熊が出ると脅され たが、人が多いのでそんなことはなかった。       知床五湖への道路を走っているとき、キタキツネが道路をわたってい るのに遭遇した。車は全部停止して、キタキツネがゆっくり右左を注意 深く見ながらわたっていった。カメラにおさめることができた。そう言 えば、霧多布の道路でも鹿のお尻が森に消え入りそうなところを見た。 道路標識の「動物注意」もまんざら嘘ではないようだ。ただし、熊だけ は困るけど。  カーナビで確認したら、時間が短縮されて、網走に着くのが、17時 となった。無事ホテルには入れそうだ。途中、オシンコシンの滝を見学 した。半袖では寒いくらいになってきた。「名物いもだんご」をおいし く食べた。    網走に向かった。途中の農耕地は、大規模であったが、牧場は少なく なり、麦やトウモロコシなどが地面全体におおっていた。途中、小清水 原生花園もあったが、暗くなってきたので、見ずに通過した。予定より 早く16時半に「網走セントラルホテル」到着した。  今日も同じくシングルで頼んだのに、ダブルの部屋だった。それも応 接セットもついたちょっと大きめの部屋である。またまた得した。  さっそく、町に夕食と朝食を買いに出た。雨がザァーと降ってきた。

8月6日(水)

 朝6時に起床。新聞が入っていたので、ゆっくり見る。今日は広島原 爆の日だから、8時15分にはテレビを見ながら黙祷をした。秋葉広島 市長のメッセージは素晴らしかった。それが終わらない8時半に、網走 のホテルを出発。  最初に、博物館「網走監獄」を見に行く。昔は実際の刑務所の門まで 行ったが、今は博物館風になっている。たくさん写真を撮ったが、使い 道はないと後で思った。                次に、そのそばの天都山(てんとさん)のオホーツク流氷館と北方民 族博物館へ行った。流氷館の地下で、コートを着て、流氷を実際に見学 した。水の着いたタオルが凍り付くくらい寒かった。        網走を後に、オホーツク海沿いにオホーツク国道を北上した。網走湖 ・能取湖(のっとり湖)・サロマ湖を横目にひたすら北上した。  途中のサロマ湖で、家に宅急便を送った。佐呂間町の北勝水産という 大きな直販店だった。「タラバガニ」1.2kgと「しまえび」500 gと「ホタテ」480gである。家族が喜ぶ顔が目に浮かぶ。  サロマ湖は、サンゴ草(秋)がきれいなところだそうだ。見れなくて 残念。流氷でも有名らしい。  この後、中湧別(なかゆうべつ)・紋別(もんべつ)と通ったが、紋 別では、計画では流氷科学センター「ギザ」と海中展望台オホーツクタ ワーへ行くつもりだったが、網走で流氷を見たのでキャンセルした。そ のかわり、すぐそばの「オムサロ原生花園」でのんびりした。浜辺もそ ばにあったので、海の水で手を洗った。        沙留・興部(おこっぺ)・雄武(おうむ)・幌内(ほろない)を過ぎ たあたりから霧が出始めた。さすがに寒い地域だ。国道も宗谷国道と名 前を変える。  「マリーンアイランド岡島」と言う道の駅を過ぎてすぐ、山に向かう ので、オホーツク海と分かれると思い、同僚へのお土産を探した。安く てここでしかない物を探した。ご飯に入れるとおいしく炊ける「オホー ツクのにがり塩」を購入した。去年は「沖縄の自然塩」だったので、塩 づいている。  枝幸(えさし)・歌登(うたのぼり)・中頓別(なかとんべつ)と山 の中を走ったが、天気は良くなった。つまり、オホーツクのそばだけ霧 が出たのかな。  本日の宿「ホテル望岳荘」は、ピンネシリ温泉と同じ宿だった。ピン ネシリとは、敏音知と書く。敏音知岳のそばにある温泉である。ここで は、夕食と朝食がつくのだが、毛ガニもついたご馳走だった。いつもは コンビニ弁当なのでたまに良いか。温泉もとっても良かった。いつもは シャワーだけなので、その点でも良かった。さすがに客は少なかった。  

8月7日(木)

 朝も温泉に入って、すっきりして朝食。8時頃出発。浜頓別へ向かっ た。クッチャロ湖を左に見ながら、北上した。猿払(さるふつ)の道の 駅に停まったが、広大なキャンプ場があっただけで、あとはダダぴろい 平原が開けていた。  ついに日本最北端の宗谷岬に到着。カモメも飛び交う気温16°Cの 寒い岬だったが、観光客がたくさん来ていた。記念にキーホルダーを買 った。ずっと前から来たかった場所なので、私としては大満足。間宮林 蔵の像も写真に撮った。       このあと、反対側のノシャップ岬(野寒布岬)へ行った。宗谷岬の方 がにぎやかだったが、ノシャップ岬にあった寒流水族館へ入った。ここ で孵化したというフウセンウオ(この日の北海道のテレビで紹介されて いた)と天使の魚クリオネも写真に撮った。                この後南下して旭川まで行く。そこで、日本海側のオロロンラインを 行くことにした。対向車は滅多に来ないので、つい時速100kmが出 てしまう。80kmに押さえるのに苦労した。抜海・浜勇知と快適に南 下した。右手には、利尻富士(利尻島の利尻山)がずっと美しいシルエ ットを見せていた。ちょっとガスっていたのが残念であった。     稚咲内で、サロベツ原生花園へ向かって左へ折れた。サロベツ原野の 真ん中にビレッジセンターがあった。隣の食堂で、昼食にカレーライス と牛乳とモチイモを食べた。モチイモは3個も食べたが、美味しかった。     豊富(とよとみ)町にチーズの工房があると聞いて探したが、見つか らなかった。チーズのお土産が買えない。次にどこで買えるのか。  この後国道40号線を南下していった。天塩川(てしお川)沿いに歌 内・中川・音威子府(おといねっぷ)美深(びふか)をスムーズに通り 過ぎていった。  名寄(なよろ)市内に工事中の高速道路が無料開放されていたので、 それを利用して、時間を浮かした。そのあと、士別(しべつ)和寒(わ っさむ)を通り、塩狩峠にさしかかった。  塩狩峠に三浦綾子の記念館(旧邸)があるので、是非訪ねていきたか ったのだ。小高い丘に別荘風の瀟洒な屋敷があった。無料で開放されて いたので、家の中の様子や、映画「塩狩峠」「氷点」などの資料も展示 されていた。     旭川に入り、ガソリンを補充すると同時に、汚れた車の洗車をした。 これから旭川や札幌の都会を走るので、きれいにしたかったのだが、台 風が来ているというので、無駄だったかな。  旭川の「ニュー北海ホテル」は大きなホテルだ。夕食に外に出て、ラ ーメンを「一蔵(いちくら)」で食べた。ネギのたくさんはいった名物 ラーメンだった。

8月8日(金)

 今日は雨が予想されたので、富良野の散歩はできそうにないので、ゆ っくり9時に出発した。旭川を南下して、美瑛(びえい)の町には行っ た。  拓真館(たくしんかん)と言うフォトギャラリーへ行こうとカーナビ を住所で設定したら、山1つ向こうへ出てしまい、グルグル探せど見つ からない。その前に、「新星館」を発見、須田剋太らの美術館だった。 埼玉の吹上の出身なので親近感を感じ見学に入った。5年前に美瑛の丘 の美しさにひかれた館長が開いた美術館だった。     そのあと、拓真館にたどり着いた。美瑛や富良野などの風景を写真に とり展示してあった。あまりに素敵なので、ポスターを3枚買ってしま った。霧を見事に映し出している。今回の旅行で霧が旨くとれないので、 参考にしようと思った。  迷ったおかげで、昼時になったので、十勝岳方向に行く途中にある歩 人(ほっびと)というレストラン(20人も入れば一杯になる小さなレ ストラン)で、Aセット1000円を食べた。Aセットは、5種類のハ ムやソーセージと野菜、ライスとドリンク(ホットミルクにした)だっ たが、お腹一杯になったし美味しかった。面白かったのは、ウェイトレ スがハムの種類の説明を早口ですることだった。    このあと、十勝岳の望岳台へ向かったが、雨と強風のため、誰もいな かった。しかし、それでも観光客の車が来るのには感心した。と言う私 もその一人だが。吹上温泉には車がたくさん停まっていた。露天風呂が あると本には書いてあった。私は通り過ぎていった。  富良野町へ向かった途中に、後藤純男美術館があったので、寄ってみ た。本の説明では日本画の大きな絵があると書いてあったぐらいだった が、実際はあまりに美しく大きく上手なので感心しきりだった。気に入 った作品は、「陸中海岸」「雪の京都嵐山橋」「那智の滝」「三千院」 「斜里岳」などあげたらきりがない。お土産に「三千院」と「斜里岳」 のカードを買った。良い記念になった。  このあと、時期的には遅かったが、ラベンダーを「ファーム富田」へ 見に行った。ラベンダーの遅咲きが少し咲いていたので写真に撮った。 タイミングが合えば、凄く美しい風景だろうと想像した。ラベンダーの 石鹸のお土産を買った。お土産の買い過ぎかな。そうそう、韓国からの 旅行者がたくさんいたのには驚いた。韓国にはラベンダーはないのかな。          最後に念願の「北の国から」のロケ地の麓郷(ろくごう)の森へ見学 に行った。最初は、「拾って来た家」、次に「丸太の家」「風力発電の 家」、そして最後に、「石積みの家」を見た。たっぷり見たので、また 「北の国から」のビデオを楽しみに見よう。          15時半になったので、急いで、次の宿泊地「滝川市」へ向かった。 途中の芦別(あしべつ)では、ミニパトが私の車の後ろについたので、 時速50kmしか出せず、イライラした。途中で離れたので、快適速度 である時速80kmで走行できた。北海道はあまりに大きいので、時速 50kmは遅すぎだと思う。道路も大きく対向車も余り来ないのに、何 でこんなに道路が立派なのだろうと思った。北海道開発庁というやつか な。車にとっては便利であるが、税金の無駄遣い過ぎではないかと思っ た。  17時に、滝川市の「ホテルおい川」についた。おい川は昔、及川旅 館だった感じが残っているホテルだ。しかし、大浴場があるのは良かっ た。今までのホテルは美しいが、ユニットバスなので、風呂にとっては 不便だった。このおい川の風呂は誰もいなかったせいもあったが、ゆっ たりと入れた。  夕食と朝食を買いに町に出た。ちょっとくらい感じの町だった。天気 のせいかもしれないが、「西友」の閉店大売り出しをしていた。中は暗 い感じだった。不景気がここにも来ているのだなと思った。

8月9日(土)

 8時には滝川のホテルおい川を出発した。滝川ICから道央自動車道 にのって、札幌ICまで行った。雨のため、時速80kmを守って走行 した。1時間ぐらいで札幌に着いたが、肝心のロイネットホテルの駐車 場「5・3狸パーキング」が分からず、グルグル回った。途中交通事故 にあいそうにもなった。冷や冷やだ。やっぱり都会はイヤだ。  何とか駐車できたので、ホテルには行かず、直接北海道大学へ行くた め、地下鉄「南北線」のすすきの駅から乗車。北12条駅で降車。北海 道大学の構内へ入ったのはいいが、雨の大学はシーンとして人気がない。 数教協の先生らしき人を発見したので、後ろからついていったら、北の はずれの「高等教育機能開発総合センター」でやっていた。はじめは人 が少なかったが、午後1時半からの記念講演では約700名ほどまで参 加者が増えていた。なお、この総合センターは昔は教養部だったそうだ。 時代の流れか教養部がなくなっていく。  午前中の基礎講座に少し顔が出せたので、北海道・白樺学園高校の氏 家英夫さんの「指数関数とeの指導」に参加した。対数直線の指導を少 ししたことがあるので、興味深く聞くことができた。  記念講演は、北海道大学総長の中村睦男さんの「21世紀に活きる日 本国憲法・教育基本法」と言う内容であった。憲法の歴史と教育基本法 の歴史を詳しく話してくれたので、充実して聞けた。先日個人的に学習 したこともあって、話がよく分かったし、それに追加する内容もあり、 とても興味深かった。話も上手だった。このような素晴らしい大学総長 が埼玉大学にもいたら埼玉の教育は良くなるのにと思った。(埼玉大学 の学長さんゴメンナサイ)           16時頃終わったので、北18条駅からすすきの駅まで乗った。駅の 案内板をよく見たら、ロイネットホテルがすぐ分かった。駐車場もすぐ 近かった。あいだに狸小路がある比較的人出の多い通りにある。ホテル に荷物を置いた後すぐ夕食を食べに出た。  本日数教協であった人は、埼玉の茂呂さん・飯島さん、宮城の鴇田さ ん、北海道の渡辺さん達である。他にもよく見かける顔に会えてうれし かった。年に一度の同窓会のような感じである。明日は分科会がある。

8月10日(日)

 台風も通り過ぎて、曇ってはいるが気持ちの良い天気になった。朝食 をロイネットカフェでできたての美味しいパンを食べたが、あまりに美 味しいので、2回分食べてしまった。おかわり自由だったので、良かっ た。  9時に出発した。昨日から一日たつと、すすきの界隈も地理感ができ てしまった。地下鉄南北線に乗って、今日は北18条駅で降りた。北海 道大学の北側の「高等教育機能開発総合センター」へはすぐに行けた。  数教協の高校分科会は、6分科会あった。小中高併せて、21分科会 もあり、大盛況だった。高校の分科会は、「数と式・数列」「初等関数」 「微積分」「確率・統計」「解析幾何・ベクトル・行列・線形代数」「 数学基礎・楽しい数学」があり、どの分科会も魅力的な内容だったが、 私個人の関心のある「確率・統計」に参加した。  メインレポートは、大阪府立金岡高校の澳 泰生さんの「条件つき確 率の授業」「統計処理の授業」「どれが有利?」「確率の問題あれこれ」 の4つの盛りだくさんのレポートは興味深い内容に満ちていた。一部興 味があった内容を書いてみると、「セールスマンの悩み」「3箱問題」 「予知夢を見る確率」「病気の検査」「ホテルの男女問題」「お見合い の問題」などである。  メインレポートが終わったと、自由レポートが続いた。連記してみよ う。和歌山県立紀央館高校の嶋田佳一さんの「ファイナンスとシミュレ ーション」、神戸商科大学の木村良夫さんの「不平等の度合いを測定す る−ジニ係数」、自由の森学園の増島高敬さんの「確率の授業での新し い挑戦」、札幌篠路高校の真鍋和弘さんの「7で始まる数」である。ど れをとっても内容の高いもので、是非理解できると良いのだが。              16時に分科会は無事終了した。他の分科会の資料ももらった。宇都 宮北高校の黒崎貞雄さんの「暗号と数学」(かなり詳しく調べてあるの で、大いに参考になる)、北海道の立命館慶祥中学・高校の渡邊 勝さ んの「行列をどのように教えているのか−特に、固有値に関連して」で ある。  16時15分から北星余市高校の義家弘介さん(「ヤンキー 母校に 帰る 超不良が母校の熱血教師に!日本一泣ける卒業式まで…北の大地 激動14年と327日完全密着」と言うテレビドキュメンタリーで高視 聴率を上げた主人公)の教育実践講演会に参加した。圧倒する内容でア ッという間に時間が過ぎた。参加して良かった。  18時に真っ直ぐロイネットホテルに帰ってきた。夕食も弁当を買っ た。これが一番お腹の調子によい。贅沢には合わなくなったのかもしれ ない。  本日数教協であった人は、埼玉の村嶋さん・大澤さん達である。

8月11日(月)

 朝食は、ロイネットカフェでお粥を食べた。久しぶりで美味しかった。 8時に出発した。荷物を持って、駐車場に行き、車に荷物を置いて、す すきの駅から地下鉄に乗った。  9時半からの「AMIサロン」がはじまった。私は、このサロンでは 必ず銀林浩さんの講座に参加するようにしている。内容は難しいけれど、 現代の取り上げてほしい数学の内容に関連することを言ってくれるから だ。  今回は、「小学生でも分かるゲームの理論」である。ゲームの理論は さっぱり分からなかったが、話を聞く中でうっすらと概要が見えてきた。 そう言う意味で今後の勉強になった。高校の教材にゲームの理論を取り 入れる検討を今後していきたいと思っている。  11時半に終了したので、急いで車を取りに帰った。そして、北海道 大学の正門付近で待っている埼玉の飯島光治さんのところに急いだ。実 は、今日と明日、車で小旅行をする計画になっていたのだ。  12時半に落ち合うことができた。道央高速道で白老(しらおい)ま で行った。14時には、アイヌの村のポロトコタンへ着いた。飯島さん は、昔から「フクロウの置物」を買うのを趣味にしているのだが、今回 もアイヌの守り神である「フクロウ」の彫刻を購入した。アイヌの踊り などを見学した後、次の「昭和新山」へ向かった。16時頃、煙をはく 昭和新山についた。煙を見ていると、大地が活きているという鼓動が聞 こえてくるようだ。          このあと、羊蹄山のそばを通って、宿泊地の小樽に向かった。着いた のは、18時半で、予想以上に遠かった。ちょっと足を延ばしすぎたか な。  さっそく、夕食に、寿司通りに食べに出た。地ビールも飲んで寿司を 食べて、21時半まで管を巻いてしまった。一人で食べるのとは違って 楽しかった。  小樽の宿泊は、「バンクサイドホテル」と言う寿司通りの脇の道にあ るホテルだった。

8月12日(火)

 ホテルの朝食を食べて、8時半に出発した。飯島さんに小樽を案内し てあげるのが目的だ。最初に、「石原裕次郎記念館」へ行った。映画 「黒部の太陽」の紹介がされていた。裕次郎が乗っていた車2台の展示 と彼の住んでいた部屋のコピーやヨットの内部のコピーが実物大で展示 されていた。着ていた洋服も展示されていた。特に「西部警察」の背広 は印象があったので、良かった。服の大きさは私が着れるぐらいだった ので、意外だった。イメージ的には自分より大きいと思っていたから。 思い出に、裕次郎のロゴの入ったネクタイを購入した。ちょっと贅沢だ ったかな。  次に、北一硝子周辺の観光地へ行った。六花亭でお菓子などのお土産 を買ったついでにそこの北の大地美術館へ入った。中札内美術村で見た 「相原求一朗」と、開拓農民として草花や山々を描いた「坂本直行」の 作品が展示されていた。そこの説明書きを見て驚いた。なんと坂本直行 さんは、坂本龍馬の姉の子供で、坂本龍馬の兄の家に養子に入り、坂本 家の本家を継いだそうだ。坂本龍馬の子孫がいたとは。それも北海道に。  その後、北一硝子展示場・販売場に入ったが、ガラスの展示は余り興 味がなかったらしく、すぐ出て、飯島さんはフクロウの売っている商店 「福廊」で、またしても人形のフクロウを購入した。    昼食は、福廊の隣のラーメン屋で、特製味噌ラーメンを食べた。美味 しかった。  飯島さんを小樽駅に送ってから、私は余市町の宇宙記念館スペース童 夢へ行った。「スペースシャトル体験」「プラネタリウム」「3D映画」 「体験宇宙旅行」など全部体験した。面白かったが、時間を使いすぎた。       その隣の余市ニッカウヰスキー工場を見学した。大きな工場だったの で、醸成と樽製造の説明だけ聞いた。    14時頃、急いで函館に向かった。宇宙記念館で遊びすぎたので、急 いでも17時には着きそうにない。ホテルに電話したら、「19時頃で すね。お待ちしています」と言ったので、安心して安全運転で長万部 (おしゃまんべ)を通り過ぎていたら、突然、国道5号線は交通止めと なった。  八雲町黒岩で崩落事故があり、国道5号線が埋まったという。晴天だ し何があったのだろうと思い、音楽を聴いていたCDを消して、ラジオ 放送に切り替えた。すると、この周辺は2時間ほど前(15時頃)豪雨 があり、そのため崖崩れがあったという。迂回路(今金国道230号線) に入ったところ、突然の大渋滞。山の上の花石トンネルをノロノロと通 過。もう一度ホテルに電話すると、「今金を通るのだと、着くのは21 時ですね。夕食は用意しておきますから、安全運転で来てください。」 ありゃりゃ21時とはまいった。  夜の知らないとこの道路を車で走るのは、結構きつかった。それも急 いでいるので、みんな70kmぐらいは出している。しかし、カーナビ があるので安心して走れるのがうれしかった。予定通り21時に「函館 温泉ホテル」到着した。ホテルの人の読みは大したものだ。  すぐに、ちょっと冷えた豪華な夕食を食べて、これを書いている。

8月13日(水)

 朝食を7時に食べて、すぐ出発した。と言うのは、青函フェリー(東 日本フェリー)の9時40分発のために90分前に入らなくてはいけな いと言われていたので、8時10分に間に合うように出かけたのだ。で も実際は、9時頃でも良かったみたいで、だまされた感じ。  函館から青森まで、フェリーに揺られて、読書したり、昼寝をしたり、 昼食を食べたりしたら、13時半頃に到着した。       青森から、五所川原を通って、鰺ヶ沢・深浦・十二湖・八森・蜂浜と 青森の西海岸沿いに南下した。昔と違って、旧道を改修して「能代道」 と名乗った国道101号線が結構走りやすかった。本当は時間さえあれ ば十二湖をゆっくり見学したかった。しかし、青森からは十二湖まで遠 すぎる。高校バスケットで有名な能代工のある能代市まで、秋田自動車 道が完成しているので、能代から十二湖へ入った方が近いようだ。  17時に能代市に入ったが、秋田自動車道に能代南ICから乗ったの で、秋田市の東南の協和ICで下りて、国道46号線で角館に向かった。 21時頃着く予定が大幅に短縮されて、19時に「角館プラザホテル」 に到着した。  白神山地(しらかみ山地)や十二湖や黄金岬などの写真を撮れなかっ たのは残念だ。千畳敷だけは撮った。十二湖はちょっと奥まで入ったが、 知床五湖の風景と違い、予想外れな感があったので、途中で折り返して しまった。奥までゆっくりと入れば違うと思うが。  

8月14日(木)

 8時45分に出発した。9時から角館(かくのだて)の武家屋敷が公 開になるのに合わせたのだ。車は、ホテルにおいて良いというので、歩 いて見学に出かけた。  最初に、角館町樺細工伝承館に入った。樺細工の茶筒や箪笥などの作 品が展示してあった。角館の歴史も展示してあった。  次に、武家屋敷の「青柳家」に入った。広い敷地に武家造りの家々が 散らばっていた。幕末写真館には、西郷隆盛の写真(?)も写っていた。 新井白石の解体新書の挿し絵を担当したという小田野直武の像があり、 その歴史も展示してあった。  「石黒家」にも入った。枝垂れ桜の写真で有名な家である。武家屋敷 前の道路全体も趣のある風情だった。        このあと、「岩橋家」と「小田野家」にも入ったが、古い屋敷だった。 駐車場に戻った後、車で、せっかく来たのだから「わらび座」にも見に 行ったが、「たざわこ芸術村」の一角にあった。わらび劇場ミュージカ ル「男鹿の於仁丸」をやっていたが、午後開演だったので、あきらめた。  11時だったが、福島まで行くから次のルートで出発した。角館から 上街道で仙南村へ、そして横手市へ。横手から湯沢横手道路に乗り、湯 沢で降り、国道13号線で南下した。雄勝(おがち)は、小野小町の町 だった。    羽州街道で、真室川、金山、新庄市、舟形、大石田、村山市、東根市 (ひがしね市)と進んだ。東根市からは東北中央自動車道に乗り、山形 JCTで、山形自動車道に乗り換え、山形蔵王PAで休憩した。雨も降 ってきて、走りにくくなってきた。  村田JCTで、東北自動車道に乗り換えると、急に車が多くなってき た。お盆帰りの車らしい。福島飯坂IC付近から大渋滞らしかったが、 私は福島市で泊まるので、福島飯坂ICで高速道から下りて、福島市に 入った。「ホテルサンルート福島」は福島駅東口の中心街にある大きな ホテルだった。インターネットも使い放題だ。最近の大きなホテルはイ ンターネットができるようになってきた。  さあ、明日は久喜の家に帰ることになる。長い旅行だったが、思い出 に残る旅だった。

8月15日(金)

 8時半に出発した。せっかく福島に泊まったのだから、すぐそばの霊 山(りょうざん)へ行ってみたくなった。北畠親房で有名な所だ。しか しどこだかわからないので、取りあえず霊山神社に向かった。突然小さ な道の山の中に入っていった。不安だったが突き進むと山の中に霊山神 社がひっそりとたたずんでいた。今では有名ではないみたいだ。取りあ えず看板の写真を撮った。満足した。    福島飯坂ICから東北自動車道に乗って、雨が降っていたので、時速 80kmでゆっくりと久喜へ帰ってきた。14時に帰宅した。  家に帰って写真を取り込みながら、ホームページを完成させた。たい したこと無い紀行文だが、見て頂けたら幸いです。