津軽への旅(1996年夏)

第一話「初めてのキャンプについての話しをしましょう。」

 私は7月29日(月)から8月3日(土)までの5泊6日間を利用して家族でキャンプに行って来ました。といっても私と娘2人の3人です。女房はパートの仕事の都合がつかず、不参加でした。少し残念でしたが、女の子の成長ぶりを見られた楽しい旅でした。上の子が高校2年生、下の子が小学校6年生です。
 行き先は、前々からいきたかった、青森の十和田湖畔にとりました。久喜を7月29日の朝に出発し、東北自動車道で約600キロを約6時間で走り、岩手山高原にあるペンション村で一泊しました。冬はスキーの客で込み合うそうですが、夏の盛岡の祭り(8月1日からはじまる)の前はがらがらでした。ここにつく前に、花巻の宮沢賢治記念館に行きましたが、後で聞いた話ですが、石田先生もこのとき、この時間帯に花巻の宮沢賢治を訪ねていたそうで、会わなかったけれどビックリしました。宮沢賢治の記念館は森の中にあり、一度はいってみたいところでした。石田先生の一家は、この後早池峰山にキャンプをしながら登ったそうです。いいですね。
 翌日の7月30日は、朝から小岩井農場に行き、農場周遊バスで奥深くまで見学することができました。いくならこのバスに乗った方がよいと思いました。農場の広場は2年生の修学旅行でいったノーザンホースパークと似た場所です。この日は、茂呂先生に聞いたとおり、夏のキャンプは直前に材料をそろえる方がよいというアドバイスを受け、花輪盆地にある鹿角市の十和田西高校そばのスーパーで食事の材料を買いました。大湯ストーンサークルのそばをとって、十和田湖畔の花鳥渓谷(オートキャンプ場もある)に入りました。初めてのタープとテント張りの涙ぐましい話しはまた次回にしましょう。

第二話「タープとテントの張りは事前学習が必要!」

 鹿角市で食料を買い込んだ武田ファミリーは、意気揚々に十和田湖畔の宇樽部と子の口の間にある花鳥渓谷に到着しました。入り口の事務所で、手続きをすると2泊で6000円あまり、3人で2泊なので、この安さにキャンプの手軽さを実感しました。
 湖とバラの花園に囲まれた花鳥渓谷で2泊もできる喜びに浸りながら、白樺林の間を車(紹介が遅れましたが、つい6月はじめに購入した、ニッサン中古のセレナです。なんとキャンプしたいがためにブルーバードから乗り換えたのです。しかし、乗り心地と積載量などの点から言って成功したと思っています。)を走らせると、広大な芝生の広場が見えてきます。あちこちに散らばるようにテントが張られていました。恥ずかしい?ので、空いている広場の山の下に場所を決め、さっそくテント張りの作業に取りかかりました。本に書いてあるとおり、タープを張り、次にテントを張りました。久喜が暑かったので事前学習はできないままでしたが、やはり本の注意書きに書いてあるとおり、初めてではどうにもなりませんね。娘たちにブウブウ言われながら、張り終えたのが、なんと19時(ちなみに始めたのが、15時なので、4時間もかかっています)です。原因はテントのパイプのうち微妙に曲がっているのが2本あり、その場所が分からなかったのです。やれやれ、何でも事前学習は大切ですね。
 娘たちが珍しく腕を振るい夕食ができあがりました。キャンプのツーバーナーの使い方がおもしろかったようです。献立は今回欠席した女房の綿密な計画なので、マアマアいけます。真っ暗な中でランタンの灯りの下で、娘2人とイスに腰掛けテーブルに置かれた夕食をワインを飲みながら食べる雰囲気は最高でした。まったく本に書いてある通りでした。フフフフ・・・・しかし、良い面はその通りでしたが、悪い面もその通りでした。
 夜に寝袋(スリーピングバック)の中で聞く、風の音は大自然の懐に包まれていることが実感できました。ところが夜半から雨が降り始め、風が轟々とうなりをあげて吹いてきました。外のタープがパタパタと音を立てています。(ちなみに、雨と風は十和田湖周辺の山部だけだったようです。)かすかな灯りでテントに映るタープの影が少し大きな音がした後なくなってしまったので、張り方が悪く倒れたことを知りました。翌朝4時半頃、他のテントの誰も起きないうちにテントから抜けだし、タープを急いで車にしまいました。ロープがあったので倒れただけでしたが、ペグが数本壊れてしまいました。ああはずかしや!
 翌日は奥入瀬渓流を散策した後、八甲田山にロープウェイで上り、酸ヶ湯温泉に入ると言う極楽計画でしたが、変更を余儀なくされました。実際は奥入瀬渓流を横目で眺めて通り過ぎ、酸ヶ湯温泉の半分ぐらい手前の蔦温泉に入り、青森県十和田市に行き、ペグの追加購入と食料品の買い出しです。トホトホ、しかし、蔦温泉は見っけもんでした。伝統のある温泉旅館で風呂場も総檜づくり、客も少なくたっぷりと入ることができました。そこで知り合ったのが、浦和からキャンピングカーできていた家族、これから青森を抜けて北海道に渡るそうです。私もいつかそうしたいと思いながら別れました。 十和田市では十和田高校の発見とメーンストリートでの買い物を楽しみました。少し長くなったので、続きは次回にまわしますが、この日のキャンプは同じ花鳥渓谷ですが、芝生の広場ではなく、白樺林の中で木々を使ってタープを張ったことをお知らせして筆を置きたいと思います。
 次回は次に訪ねた青森市の三内丸山遺跡見学の実況をお送りします。

第三話「三内丸山遺跡めぐり」

 十和田湖から東北道に抜ける近道ができていると電気科の江森先生(奥さん同士が弘前市緑が丘の出身、つまり幼い頃見かけたことがあるらしい)から教わっていたので、その山に架かる橋を通ろうとしたのだが、朝のすごい霧で道を間違え、黒石市に出る予定が小坂ICに出てしまった。まあ、青森方面に行くからいいやと思い、東北道にのりました。
 終点青森ICを降りるとキョロキョロしながら、青森方面に向かっていました。当日はねぶた祭りの初日なので、あまり市内に入りたくなかったので、その前に遺跡の看板を探したかったのです。最近発掘されたので、表示があまり出てないのですが、郊外の野球場建設工事後だそうなので、「丸山」という地名を頼りに徐々に進んでいきました。
 昼になっていたので、コンビニに昼食を買いによったら、その店は丸山店でした。店員に聞くと後ろの山がそうだといいます。ただの森にしか見えませんでしたが、近づいていくと、広大な遺跡が開けてきました。感動です。 順路に従って、遺跡の部分をドーム型に囲った建物をいくつか見物した後、広場に出ました。目の前に高床式の倉庫が、向こうに竪穴式住居がいくつも見ることができました。一つ一つが弥生時代ではなく縄文時代のものとしては立派なものです。建物は最近作ったので、それ自体でなく、材木を立てる穴の大きさや規模からその様子が見て取れます。圧巻は集合作業場兼集会場と思しき建造物です。体育館ほどある建物で、柱も背の高い栗の大木を数十本も使い作られていました。丁度、テレビのカメラが回っていたので、ワザと近づいていったのですが、「そこのおじさん退いて下さい」と言われてしまいました。 最後に、入り口にある博物館には、縄文時代の天気や港の様子の説明が丁寧にされていました。この三内丸山遺跡が栄えた五千年から三千五百年前の千五百年間は、天候的には今の関東地方の様な気候だったそうです。全体的に海の海面も高く、この山の遺跡は青森港に浮かぶ入り江の絶景位置だったようです。北は北海道や中国大陸、南は新潟方面から海を通して、いろいろなものが交易されていたようです。飾り物が多数見つかっています。中国から米を伴って弥生人が九州に上陸する前に海上交易ができていたとはビックリです。
 主食は栗の澱粉です。DNA調査によると栽培されていた栗だったので、栽培農耕がされていたようです。縄文人は狩猟採集だと言われていましたが、なんと栗の栽培をしていたとは、歴史を書き換えなければなりませんね。ゴミ置き場も千五百年間に渡って、分別しながら捨てていたようです。食物の捨て場、皿などの使用品の捨て場など分かれていました。捨てては砂をかけ、また捨て…という具合です。そのおかげで、土器の様子も千五百年に渡って変化していく様子がうかがえるそうです。その展示物が博物館に飾ってありました。
 記念にお土産売場で、Tシャツを買って、三内丸山遺跡をあとにしました。次の行く手は、なんと十三湖です。津軽半島の十三湖です。安東水軍の本拠地の十三湊(とさみなと)です。その中島キャンプ場に行ったのです。それはまたにします。

第四話「十三湖めぐり」

 8月1日青森の三内丸山遺跡を見学した武田家一行は、津軽半島を北上した。青森から五所川原を通って、太宰治で有名な金木町の斜陽館を横目に見ながら、(実は側まで行ったのですが、見学はできないようでした)岩木川沿いに北上し、十三湖に到着しました。 十三湖の北側にある中の島は島全体が公園になっていて、キャンプ場や、ロッグハウスなどの施設が作られていました。中学生の集団が夏季キャンプにきていましたが、私たちは昨夜の十和田湖の雨に打たれ、テント類がビショビショだったので、事務所の人にお願いして、空いていたロッグハウスに泊まることにしました。台所もついているので、近所のスーパーに買い出しに行って材料をそろえ、予定通りの夕食を作ることができました。
またしても、娘たちの手際よい食事作りに感心してしまいました。娘を持った幸せでしょうか。しかし、一緒にキャンプをする息子もほしいですね。今、娘たちに恋人はキャンプ好きを探すように行っています。
 8月2日、中の島にある郷土資料館の見物をしました。安東氏の歴史や、日本海を縦横無尽に航海した船の陳列物や資料などたくさん展示してありました。一つの歴史を感じました。しかし、今は忘れ去られているようです。 津軽半島の十三湖を後にして、弘前城に向かいました。弘前城の前のネプタ会館では太鼓を叩いたりしました。そのあと弘前市緑が丘をチラッと見て、宿泊地の八幡平の志張温泉に向かいました。古くからある温泉らしく、いい湯加減でしたが、お客さんや女中さんがほとんどいなくて、とても寂れていて趣がありました。
 8月3日は、八幡平のハイウェイは快適なドライブでした。山頂のドライブインから八幡平の山頂に歩いて上っていきました。雲の上から見る景色は素晴らしいものがありました。しかし、車で麓に降りていくとドンヨリ曇っていました。帰りは、東北道の八幡平松尾口からのり6時間かけて久喜に帰ってきました。帰りの高速道は疲れました。
 この連載はこれで終わりです。永らくご拝聴有り難うございました。