2005年夏「広島への旅」

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8月5日(金)水上→敦賀

水上ICから関越道にのって、小千谷付近を通ると、中越地震の復旧工事が
あちらこちらで行われていた。地震の大きさを示すかのように、その周辺の
道路は高速道にもかかわらず、あちらこちらで波打っていて、ハンドルを取
られそうになる。まだまだ復旧工事はかかりそうだ。
長岡JCTで北陸道に乗り換えたが、昔と違って、2車線の広さになってお
り、とても軽快に走れた。途中の有磯海SAで、「ますの寿し」とうどんが
半分ずつの定食を食べた。「ますの寿し」が結構旨かった。
カーナビによると、この調子だと、敦賀に2時半頃着いてしまうことが分か
ったので、どっかに立ち寄ろうと計画をするが、高速だと車が早すぎて計画
どころではない。昨年高山から白川郷へ行ったときに途中で断念した「白山
スーパー林道」が脳裏に浮かんだが、遠回りになるのではと迷っている内に
分岐点の小矢部砺波JCTにさしかかった、とっさに曲がってしまった。つ
まり、白川郷のそばの白山スーパー林道のコースを選択したのだ。水上IC
から白川郷ICまで8000円かかった。今回からは、ETCなので、お金
が出ないので実感はないが、あとで通帳を見てびっくりするかも。
白山スーパー林道の料金は、片道3150円と少し高いが、思い出に残る道
だと思う。白山スーパー林道からの写真が何枚か撮れたので、早速アップし
てみたので、見て下さい。

  

  



しかし、白山スーパー林道をおりたあたり(地名では白峰高原)から、カミ
ナリ混じりの雨が降り始めた。
カーナビも敦賀までのコースを旨く表示しない。しかたがないので、福井県
大野市のコンビニで夕食を買うと同時に、ホテルに電話して指示を仰いだ。
やはり、福井ICで、北陸道に一端乗って、敦賀に向かうのが一番よいとの
こと。何とか6時には到着し、ホテルアルファ−1の部屋で、インターネッ
トをしながら、これをアップすることができた。

8月6日(土)敦賀→米子

今日は広島の原爆の日なので、8時15分にテレビを見ながら、黙祷をした。
いつもながら広島の秋葉市長の演説は中身が濃いものがある。今度の広島の
数教協の大会にも数学者の秋葉忠利さんが見えると良いのだがどうだろうか?
9時に敦賀を出発すると、すぐに三方五湖の表示がでてきた。時間が少しある
ので、寄ってみようとレインボーラインへ入っていった。レインボーラインの
山頂に展望台の公園があって、リフトで山頂に上がると、5つの湖と若狭湾が
一望に眺めることができた。少し煙っていたので、写真は良く写っているかど
うか心配である。鍵は何故だかいっぱい架かっていた。鍵の公園なのかもしれ
ない。

  

  

  



この三方五湖の見学に時間がかかったので、下で行くのはやめて、小浜西IC
から舞鶴若狭道に乗ることにした。綾部JCTで京都縦貫道(綾部宮津道路)
に乗り換え、宮津天橋立ICで下りたら、すぐに天橋立があった。宮津の町が
綺麗だったので、写真に撮った。府立宮津高校の生徒も登下校していた。部活
の生徒かな。
天橋立は、駐車場が混んでいたので、少し離れたところの市営駐車場にとめた。
そのせいで、天橋立の全体が見える展望台のところまで歩くので、汗びっしょ
りとなった。気温はいったい何度あるのかな。
展望台へは、リフトであがったが、写真の通り全貌が見えた。あとで、下から
も行ってみたが、海と浜があるだけだったので、展望台へ行って良かった。近
場の駐車場に止めるのがコツだなと思った。文殊の知恵のお寺にもお参りした。

  

  



天橋立から米子までは高速道は使わず下で行くことにした。やはり、周りの様
子を見ながら運転する方が旅をしていることが実感できるからだ。高速道は早
くて良いが、通っている地域のことはさっぱり分からない。
野田川町から岩屋峠(近くに岩屋寺があったが寄らなかった)を越えて、但東
町の出合にでて、426号線を出石町へ豊岡市(洪水で有名な)の南をちらっ
と通って養父市の八鹿へ。八鹿高校事件を思い出しながら、国道9号線に乗り
換えて、一路鳥取へと向かった。途中で道の駅「ハチ北」で小休止。夢千代日
記で有名な湯村温泉を通り過ぎて、鳥取市へと出て行った。時間がかかったが、
いろいろ見れて楽しかった。途中、「植村直巳」「山田風太郎」などの生誕地
や記念館があった。時間があればじっくり見てみたいものだ。
鳥取で、米子のホテルに電話を入れると、2時間かかるとのこと。考えていた
より、時間がかかるようだ。途中飛ばしたが、琴浦町からが渋滞していたので、
やっぱり2時間かかって、夜7時に到着した。今日はくたびれた。インターネ
ットが使えないホテルなので、記事だけ書いて、アップは明日することにした。


8月7日(日)米子→岩国

三朝(みささ)温泉の三佛寺に行くには遠すぎるので、今回はあきらめて、米
子から近くの大山(だいせん)の大山寺に行った。米子の別荘地の感じがする
雰囲気の良い中腹を抜け、大山寺に着いた。急さかを登り切ったところに本堂
があり、裏手に石畳みの参道が奥宮まで続いていた。趣のある参道である。途
中に大山から湧き出す湧き水があり、汲みに来ている人々がいた。
奥宮の天井には絵も掛かっており、歴史を感じさせる建物であった。来た甲斐
がある所である。

  

  

  

  

  

参道を上り下りしたので、またもや汗びっしょりとなった。今回は着替えを持
っているので、車の中で素早く着替えた。2時間が経過していたので、一畑薬
師や出雲大社はパスして、石見銀山に直行した。途中、山陰道から見た宍道湖
(しんじこ)の遠景である。



出雲から日本海沿いに南下して、大田(おおだ)市から石見銀山へと進んだが、
ここは観光名所になっていて、イメージしていた「たたら」という感じではな
かったが、五百羅漢やそこにかかる円形の橋などは歴史を感じさせた。
ちょうどお祭りをやっていたので、家々は開放されており、観光客に家の宝物
を公開していて、歴史ある諸々のものが展示してあった。昔の格好をした若者
たちの行列も出て、小さな町だが賑わっていた。

  

  

  

 

石見銀山から、昔泊まったことのある温泉津(ゆのつ)へ出る道をカーナビで
近道しようとしたら、廃道に近い一車線の県道を突き進むことになった。冷や
冷やしながら進んだが、廃道に近いので無事対向車もなく国道9号線に出るこ
とができた。
江の川の江津(ごうつ)市から有料道路の江津道路で浜田市へ、そこから浜田
自動車道に乗り、千代田JCTで中国自動車道に乗り換え、広島北JCTで広
島自動車道に乗り換え、広島JCTで山陽自動車道に乗り換えるという高速道
三昧を楽しんだ後、大竹ICで下におり、国道2号線で岩国のホテルα−1に
5時半に着いた。
この岩国のホテルに3泊しながら広島で行われる数教協の大会に参加する計画
である。広島へは電車で通学するので、いろいろなところの写真が撮れそうだ。


8月8日(月)広島・数教協大会1日目

広島鈴峯女子短大で行われる数教協の全国大会に参加するために、JR岩国駅
を9時27分発の各駅停車で出発しました。途中、瀬戸内海に浮かぶ島々、特
に宮島の美しさに見とれながら、45分ほどでJR五日市駅に到着、そこから
歩いて15分ほどで、会場に到着しました。
10時から「入門講座」が開かれていたので、30分の遅刻ですが、増島高敬
先生の「2時間で学ぶ量の理論」に参加、聞いていてほれぼれする内容です。
私の退職までの残り3年間の教育研究目標を見つけることができました。感謝
感激です。「小・中・高・応用で使われている内包量の分類とその指導方法の
研究」です。今日聞いた増島先生の話や最終日に聞く予定の銀林浩先生の話な
どが参考になると思っています。
昼食は弁当を頼んでなかったので、町へ出て、広島の「お好み焼き」を食べま
したが、とても美味しく思い出に残る食事でした。
午後、数教協ならではの本の販売と教具展などの「数楽の広場」に参加したと
きの写真を連写しました。更に、多くの人と話をしましたので、楽しい一時で
した。一次変換の「猫写し」で有名な小沢健一先生から声をかけられたのも感
激でした。

  

  

  

  

  

 

夕方に広島の県民文化センターで開会行事やトークショウが開かれる予定でし
たが、参加すると終わりが8時半になってしまい、岩国に戻ってくると、9時
半を過ぎてしまいそうなので、泣く泣くパスしました。
その代わりに、午後泊まっている岩国の観光をすることにしました。JR岩国
駅からバスで錦帯橋まで行き、錦帯橋の写真を撮った後、ロープウェイで山頂
にある岩国城へ向かいました。山頂では坂道を少し歩いたのでしたが、またも
や汗びっしょりとなりました。数教協のどこかのサークルの人々も来ており、
記念写真を撮ってあげました。
小雨も降ってきたので、汗びっしょりもあり、そこそこに観光してホテルへ戻
ってきました。すぐにシャワーを浴びて幸せいっぱいでこの記事を書いていま
す。

  

  

 


8月9日(火)広島・数教協大会2日目

今日は9時半から始まるので、少し早くホテルを出たが、やはり到着は10時
になってしまった。もう少し近くにホテルをとれば良かったと後悔している。
午前中は、模擬授業だったので、3カ所顔を出した。少し欲張りだったかもし
れない。
最初は、高校の模擬授業「不思議なメガネ 対数の世界」で、講師は北海道の
氏家英夫さん。昨年たっぷりと聞いたので、今回は途中で退席をした。
2番目は、小6の模擬授業「分数の乗除の意味」で、京都の下田正義さん。高
校生になっても分数の割り算が苦手な子が多いので、勉強のつもりで参加した
が、昨日の内包量に関係のある「1あたり量」がキーワードだったので、参加
して良かった。
最後に、中学の模擬授業「歩いて探るグラフのひみつ」で、熊本の堀尾直史さ
ん。女子中学生と活発に討論しながら授業をぐいぐいひっぱていくその姿に、
頼もしさを感じた。グラフを実験しながら探っていったので、こうすればグラ
フの意味を理解できると痛感した。

  

  

午後は、分科会だったが、午前中の分数の授業に惹かれて、小学校の第6分科
会「分数の意味とその計算」に参加した。知らなかったことをたくさん勉強で
きたので、参加して大成功だった。宮城の古川工業高校の鴇田さんも参加して
いた。
はじめの報告者は、沖縄の和泉康彦さん。分数指導の歴史をわかりやすく説明
してくれた。レポート名は2本「さまざまな実践から、学び合い、あすの実践
のヒントを得るために!」と「分数の加減と商分数の指導」
次は、東京の秋田敏文さん。レポート名は「4年分数の授業」
最後が、自由の森学園の松井幹夫さん。レポート名は「小学校分数の指導計画
とその主旨」
その松井さんと論争している銀林浩先生が最後に発言して、聞いていて論点が
よく分かり大変おもしろい分科会だった。
高校の分科会より、面白いかもしれない。
18時まできっちり分科会をやったので、ホテルに帰り着いたのが19時半に
なってしまった。

  




8月10日(水)広島・数教協大会3日目→萩

ホテルα−1岩国を車で後にして、大会会場の広島鈴峯短大の駐車場に9時4
5分頃到着した。しかし、もう数学サロンは始まっており、銀林浩先生の「量
の理論再構築」に参加した。2つの量に比例する複比例の話を中心に進んでい
た。地震の話などがあり、応用で使われている「量の理論」の再構築のすすめ
が話された。少々難しい話だった。
最後に、閉会式があり、そこに秋葉忠利広島市長が出席してくれた。平和の運
動を進めていくのは、数学の持つ論理性が役立つと言うことが市長の話を聞き
ながら思った。市長の話が聞けてラッキーであった。

  

  

  



お昼で大会が終わったので、飯島さんと鴇田さんとの3人で津和野見物に出か
けた。山陽道を右に行くのを間違えて、左に行ったため、宮島ICで下におり、
山越えコースで津和野に向かった。本当に山道で、不安だったが何とか津和野
に着いた。
最初に太鼓谷稲荷神社へ行った。お稲荷さんだが、赤い鳥居の連続は一見の価
値があるだろう。
次に、森鴎外の記念館へ行った。生家もそばにあった。
時間があれば、永明寺(ようめいじ)や安野光雅記念館にも行く予定だったが、
時間切れであきらめたが、鴇田さんは津和野に宿を取っていたので、明日見に
行くそうだ。ホテルの前で、鴇田さんとお別れしました。来年は東北の花巻が
大会の会場なので、宮城の鴇田さんと再会を約して分かれました。
1時間ぐらいで萩の宿へ到着した。

  

  

  


8月11日(木)萩→山口俵山温泉

飯島さんと民宿「萩の宿」に泊まって、萩の見物をしてから新幹線の新山口駅
まで送る約束だったのだが、飯島さんが新幹線の時間「3時」のところを「1
3時」と間違えて切符をとってしまったので、萩の見学3カ所だけになってし
まった。時間があれば秋吉台や秋芳洞の見学も予定していたのだが、残念であ
る。
見学したのは、最初に吉田松陰や高杉晋作たちのお墓と吉田松陰の生家跡を見
学した。吉田松陰のお墓は他の人達と同じ小さなものだった。何か偉ぶらない
自然体を感じて嬉しくなった。
次に、東光寺(とうこうじ)、ここは毛利家の奇数代の殿様のお墓と家来たち
が寄進した灯籠が有名である。夜、灯籠に灯りが入ったら綺麗だろうなあと早
朝に想像した。
その門前のお土産屋で、親へのお土産に萩焼の夫婦湯のみを買った。喜んでく
れるかな。
最後に、萩城跡のそばから、舟から見る風景も良いかなと思って、舟に乗った。
一人1200円と結構安かったし、舟から見る萩の町も良いものである。飯島
さんは感激してくれたので、この企画は良かった。

  

  

  

  

  

  

  

  

  

 

飯島さんを新山口駅に送った後、時間が2時間ぐらい浮いたので、雑誌で読ん
でいた山口市にある瑠璃光寺五重塔へ向かった。実際に行けてラッキーだった。
五重塔は大内義弘の時代に建てられた歴史あるものであった。
その隣の洞春寺も訪ねた。ここは毛利元就のお墓があるのかなと思って聞いて
みると、ここは菩提寺であって、お墓は広島にあるとのことでした。

  

  

  

たっぷり見学し、長門市の近くの俵山温泉へ向かったが、3時頃着くことにな
り時間が余っているので、明日行く予定の長門市仙崎へ先に行くことにした。
仙崎は「金子みすヾ」の故郷であり、記念館もある。彼女の人生は涙無くして
読めるものではなく、感動を覚えた。金子テル(本名)の部屋の写真もっとっ
た。詩集の単行本も買ってしまった。

  



仙崎から45分ほどで俵山温泉についた。同じ長門市なので近かった。この温
泉は全部外湯で、リウマチに効く「町の湯」、皮膚病に効く「川の湯」、モダ
ンな作りの「白猿の湯」がある。背中が一部アトピーになって皮膚科に通って
いるので、さっそく「川の湯」に入った。皮膚がツルツルになる素敵な湯だっ
た。
亀屋旅館の女将さんはちょっと変わっていて面白かった。たぶん、俵山女歌舞
伎の俳優なのかもしれないと勝手に想像した。


8月12日(金)山口俵山温泉→姫路

昨日は「川の湯」に入ったので、今朝は「町の湯」に入った。どちらも気持ち
の良いツルツルな湯である。ちなみに入浴料は「川の湯」と「町の湯」は35
0円で、新しい「白猿の湯」は700円である。

 

今日は一気に姫路まで行かなければならないので、早めにスタートした。美祢
ICから中国自動車道に乗り、岡山の北房JCTで、岡山自動車道に乗り換え、
岡山JCTで山陽自動車道に乗り換えて、姫路西ICで下りて、姫路キャッス
ルホテルへ向かった。4時に到着したが、高速道を6時間も運転したので、す
っかり疲れてしまったので、姫路城見学はカットしてホテルでこれを書いてい
ます。3日ぶりにアップできそうです。


8月13日(土)姫路→伊那市

今日は姫路から長野県伊那市へ行くので、見学はしないでひたすら向かった。
帰省ラッシュにやはりぶつかって、神戸から大阪の間と彦根の所が大渋滞だっ
た。しかし、早めに行動したのが功を奏して、80分ぐらいの渋滞で済んだ。
夜テレビで見たら3時間の渋滞とか言っていた。
昼飯は大津の押し寿司弁当を買って渋滞の車の中で食べたので、阪神自動車道
の渋滞も苦痛ではなかった。
中央自動車道の飯田ICでおりて、飯田市の様子を見ながら伊那市へ向かった
が、1時間ぐらいかかった。右に天竜川の川面と南アルプスが雲の合間からち
らりと見えた。明日は晴れると良いのだが。17:30に到着したので、高遠
城址の見学は明日にする予定である。
ホテルルートイン伊那は2階建ての瀟洒なホテルだった。活性石温泉大浴場も
ついており、洞窟風呂のようで素敵だった。


8月14日(日)伊那市→自宅

昨日見そびれた高遠城址を朝一番で見学に行った。
高遠と言えば、保科正之が有名である。保科正之は、徳川二代将軍秀忠とお静
の子として生まれ、幸松と名付けられる。しかし、正室お江与の方に頭の上が
らなかった秀忠は、正之(幸松)を正式には認知せず、見性院(武田信玄の二
女)に養育される。武家の男子は、7歳から学問と武芸の稽古を始めなければ
ならず、見性院は、最も信頼のおける信州高遠の城主保科正光に正之を託した。
正之は、保科正光の養子となり、寛永8年(1631)、21歳で高遠藩主と
なる。三代将軍家光は、正之を実弟として、最上山形、続いて会津の城主とし、
幕政にも重く用いる。
歴史博物館もじっくり拝見した。桜の季節のビデオも見たが、素晴らしい桜で
その季節に訪れたいものである。
絵島生島事件の大奥の絵島が流されたのが高遠であり、その囲み屋敷があった。
その他に、阪本天山・伊沢修二・伊沢多喜男・中村不折などが印象に残った。

  

  

高遠から諏訪ICまで山道を進んだ。素敵な景色の素晴らしい田舎が続く。南
アルプスの山々が垣間見られた。一気に山を下ると諏訪の街が見えてくる。
中央高速道の勝沼ICで下り、勝沼ぶどうの丘公園へ向かう。お昼時だったの
で、駐車場は満杯である。ここのお風呂「天空の湯」に入る予定だったが、い
っぱいなので止めた。
ワインカーブの写真を撮った。試飲もあったが、車の運転もあるので、飲まな
い代わりにブドウ酒を購入した。その他ぶどう関係のお菓子などを大量にお土
産として購入した。ちょっと買いすぎたかな。
この公園からの景色はさすがに素晴らしい眺めである。

  

 

勝沼から雁坂トンネル(有料道路)を通って、埼玉県の秩父へ抜けた。東京を
通らない分少し早めに帰れそうだ。秩父の武甲山の山頂がセメント切り出しで
削られているのは可哀想だ。



自宅に17時過ぎに到着し、長かった旅を振り返り、この紀行文の〆を書いて
いる。ご愛読ありがとうございました。